プロフェッショナルという言葉、インターネットで検索すると、

 あれやこれやのカッチョ良い定義が散らばっている。

 高度な専門性・独自のスタイル・高い倫理観等々、プロってこんなにカッチョ良いもんか!と、

 改めて背筋をただすハメになった。

 それはともかく、それらのカッチョ良い定義の裏側にくっついているのが、

 プロはその仕事で、自分のみならずカーチャンやコドモ達を食わせている、という現実の話。

 

 誰しも『より良い物を、より安く』という、どこにでもありそうなキャッチコピーを心に抱いて、

 買い物をするのは人情というモノ。

 設計屋だって、建築以外のモノを買うときは、同じ事を考える。

 いや、建築だって同じだ。

 多くのヒトは、様々な情報と、その自己解釈で安くて良いモノを捜すもの。

 

 ここで、依頼する相手はプロである、という現実に目をつぶってはいけない。

 カーチャン、コドモのオナカすかした顔など、誰も見たくない。

 お客さんが『量(広さ)』を望めば『質(グレード)』を下げて、

 自分の収益は確保しながら、予算に合わせるのがプロなのだ。

 その原則が狂っているのは設計屋ぐらいなもの。

 設計屋は、自分どころか弟子達の給料をギリギリまで下げてでも、

 良いモノを造ろうとするのだから狂ってる。

 廻りに設計屋を目指して修行中のヒトがいれば、給料を聞いてみると良い。

 自分の子供には違う道を・・・と思うことウケアイ。

 閑話休題。

 

 確かに、自分の収益と建物の『質』を守った上で、

 出来る限り安くする努力をしている造り手がいるのは事実。

 問題は、それが一般の方々に見極められるとは思えない、ということ。

 何故って、業界人ですら、仕事を見るまでは本当のところは解らないし、

 その程度の知識で、お客さんからお金貰うか〜と思うことも珍しくない。

 にも関わらず、誰しも耳障りの良いこと言うのだ、これが。

 高い倫理観を持ったプロばかりじゃない、という現実を知っているのも、またプロならでは。

 

トップランナー
簡単