某テレビ番組での話。

 ジャーナリストが、とある専門家に『○○○が起こる、起こらない、どっち?!!』と迫っていた。

 その専門家がハッキリ答えられないでいると、

 別のゲストが『理系の人は100%なんて言わないですよ。』とフォロー。

 これがなかなか驚きのヤリトリ。

 「すると、文系の人は100%を言うのか?」という驚きである。

 

 もちろん専門家として、知の限界を知っているからこそ100%などあり得ない、

 という科学的正論という意味では理系の思考と言えるのかも知れないが、

 人間ごときの考えられることに100%など無い、などという考え方は、

 どちらかというと哲学の問題だと思っていたから、文系の人はそこまで言うのか?

 というのが衝撃だったわけ。

 

 驚きと共にもう一つ思ったことが「はっは〜ん。もしかして・・・」である。

 何が「もしかして」なのかと言うと、

 家造りにおいて「絶対大丈夫なモノなんて無いです。世の中には完璧なモノなどないですよ」と言うと、

 とまどわれる方が珍しくないのだ。

 

 統計学の考え方では、白か黒かなどという極論を前提とすれば何も進まないから、

 95%以上の有意性(有意水準5%)があれば、「まあ間違いなかろう」という判断をする、

 という考え方が一般的とは聞いたことがある。(違っていたらすみません)

 だが、たとえば医師が手術を勧める時に

 統計上の5%の失敗の可能性を説明しなかったら、大半の人は怒るだろうと思う。

 テレビドラマでも、そのリスクを説明した上で、医師は専門家として勧める治療方法を説明しているし、

 患者とその家族は、そのリスクを背負う覚悟をして、医師の勧めを判断している。

 

 家造りだって同じでしょう。

 医師の治療が生命に関わるものであるのと同じように、家造りは人生に関わるモノ。

 だからこそ、気安く「全く問題ない」とか「完璧なモノを作ります」などとは言えないモノであることは、

 クソ真面目な理系の人間にとっては、当たり前のこと。

 アメリカドラマでは医師が「ベストを尽くします」というセリフが良く出てくるが、

 まさしくそれしかないのだ。

 

慣れ
センモンカ