某作家さんが、エッセイに書いておられた話だが、

 執筆業には良い椅子が欠かせない、と椅子造りの名人に特注の椅子を依頼したところ、

 名人が散々体のサイズを測って「それじゃ造ってきまっさ」と帰っていく時に、

 「体に合わない部分は、椅子に合わせて下さい」と言ったとのこと。

 名人と言えど、完璧に体に合わせることなど出来ないってことなのか、

 体に合わせるだけが椅子の全てではない、ということなのか。

 どちらにしても、家づくりと同じである。

 

 設計屋の仕事の一つは、建て主さんの条件の中で、如何に心地よい家を考え出すか、である。

 その条件の中で心地よさ、使い勝手を追求すると、

 条件があるからこそ、あまり見慣れない間取りになることも珍しくない。

 ところが、この「見慣れない」ってことが理由で提案が却下されることも、また珍しくないのである。

 

 暮らしというのは、洞窟に暮らしていた太古の昔から現在に至るまで、

 その間取りに合わせて暮らすという事であることは、変わらない。

 見慣れた間取りだからといって、生活に完全に合っているわけではない。

 見慣れないモノは、何となく不安ってのは、ごく当然の心理だが、

 違いは、見慣れている方は、合わせ方が想像できる、という事に過ぎない。

 つまり、間取りに合わせて暮らすってことは、どちらも全く同じなのだ。

 

 人は慣れるイキモノである。

 例えば、○LDKといって売られているマンション。

 大半の人が違和感なく見る間取りは、その原型ですら、たかだか60年前に登場したに過ぎない。

 登場した時は、大半の人にとって「見慣れない」間取りだったのだが、

 あっというまに「当たり前」になってしまった。

 「見慣れない」間取りに「慣れる」のは、それほど難しい事じゃないってことである。

 

 見慣れているかどうか、と、心地よく住めるかどうかは、全く関係がない。

 常識に囚われず、心地よさを追求するには、

 イメージ出来ないところは、暮らしながら臨機応変に考えていけばいいやん、

 と思えるかどうかは、家造りにおいては、非常に大きなポイント。

 ちなみに、子供さんの成長や独立などで、住まい手の方が変化する事は、間取りに関わらず当然の事だから、

 どんな間取りにしたって臨機応変に考えていくことは変わらないのデスヨ。

 

個性
文系と理系