情報化社会とは不思議な言葉である。

 情報なんてものは、かの北条氏が風魔忍群を使っていた頃から、

 いや、邪馬台国の卑弥呼が大陸に使者を送っていたころから重要なもの。

 何が変わったのかと言うと、量と早さだが、これが良いのかどうか解らない時が多くなった。

 あまりにも情報が多すぎて、何が正しいのやらサッパリ・・・なのである。

 

 住宅に関しても大量の情報が溢れているのは、本屋の建築コーナーを見れば解る。

 マジメな方はがんばって読まれるのであるが、これが諸刃の剣。

 著者は、出版しようというぐらいの方々だから相当の経験や研究を積まれている上に、書き方が上手い。

 素人さんが簡単に「なるほど〜!!」となるのは仕方がないと思う。

 しかし、厳しいようだが、情報などと言うモノは正確に理解出来て初めて役に立つし、

 理解出来ない情報は間違うか混乱するかのどちらかである。

 

 どんな情報でも、結構反対意見があるもの。

 その上どちらの意見もそれなりに筋が通っていることは珍しくない。

 その理由は、判断の元となる世界観が少しずつ違うからだ。

 例えば、何があろうと収納の多さが一番!ってヒトと、収納が大切なのは当然だけど使い勝手や風通しも大事、

 と考えるヒトでは答えが違ってくるのは当然で、どちらが正しいと言える問題ではない。

 困るのは、個々の意見にその世界観が書いてないこと。

 つまり『この価値観で考えると、この工法が良い』ってな文章になっていない。

 

 「基礎」でも「壁」でも「窓」でも、いくつもの目的があって作られるもの。

 建築の情報が難しいのは、一つの部分が一つの目的の為だけに存在しているということがないからである。

 沢山の目的の上にコストを踏まえ選択する、これが難しいのだ。

 3〜4冊読んだぐらいでそれが出来ると思うのは、料理本を3〜4冊読んで、レストランを始めようとするようなモノ。

 勉強するのは良いことだが、解った気になるのは少々危険。

 それに「良い」かどうかの判断は個人的なものでしかないってことを踏まえて、情報を読まないといけない。

 

多機能、不全?
断熱材の幻想