デザインだの、アイディアだの、豊かさだのとウダウダ言っているが、
頂戴する設計料の中の、これらの費用などゴク一部にしか過ぎない。
大半は・・・
(1)技術的な部分、つまりは要望・構造・法律・設備等を問題なく実現する為に考える時間であり、
(2)それを正確に施工者に伝える為の図面を書く時間であり、
(3)それを問題なく実現するために現場を見る為の費用である。
設計屋が「ちょっとでもカッコよくしたい」という欲望の為の苦労は、
設計屋が勝手にやっていることで、つまりは自腹。
重要な仕事の一つを挙げると、たとえば現場。
言わずもがな職人さんが汗を流して建物を造る場面である。
以前にも書いたが、職人さんもヒトの子、ミスをするイキモノ。
これは人間国宝の大棟梁でも同じである。
ミスをカバーする為には、当然ながら、まずはミスに気が付く必要がある。
職人さんと設計屋は見るところや見方が違う。
職人さんは経験主義だし、設計屋は技術論主義。
どちらも大切な視点で、その両方の目でチェックをする。
必ず何らかの問題があるとまでは言わないが、あることが珍しいことではないのは間違いない。
且つ、施工者とは別契約の立場である(建て主の代理人としての)設計屋がいないということは、
第三者のチェックが無いということ。
人間誰しも自分のした作業のチェックは甘くなるのは、
旦那が気まぐれに造った料理を自画自賛している姿を思い出せばわかるってもの。
だから、設計事務所を使わずに建てようとして何か問題が発生してしまった建て主だけが
「設計料の意味が初めて解りました。」と言われる現実が発生する。
そして設計屋を使わずに、残念ながら揉めてしまった場合、
裁判官も弁護士もいない状態で裁判を争うような状態になるのだ。
設計料が安いモノではないことは重々承知しているが、なんたって人生の中で一番高い買い物。
完璧とは言わないが、設計屋を使うのはリスク回避のもっとも有効な手段ですよ。
当たり前
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ご近所さん
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