世の中には、ヒトの数だけ「当たり前」ってヤツが存在するのが当たり前。

 比較的平均値に近い「当たり前」もあれば、とんでもない「当たり前」もある。

 これは当然のことだし、大げさに言うと偏った価値観だけで支配されてないってことだ。

 

 難しいのは、それぞれのヒトが自分の「当たり前」を普遍的価値、

 つまり誰が見ても「当たり前」のことである、と信じがちなことである。

 そして、特殊な「当たり前」を持っているヒトが、

 自分の「当たり前」を特殊だと気が付いていない場合に悲劇になることが多い。

 

 というのは、様々な理由で、それぞれの造り手には、出来ることと出来ないことがある。

 それが世間に伝わっていないから、雑誌に載っている建築家の造った家の写真を持って、

 近くのメーカーさんに行くヒトが珍しくない、ということになる。

 どこに頼んでも能力は同じ、という無意識の前提があるから、

 こういうことになってしまうのだと思うのだが、

 残念ながら美容院で髪型を注文するように簡単にはいかないのが建物。閑話休題。

 

 それぞれの「当たり前」である要望が、依頼先に出来ることであれば問題にはならないのだが、

 それが違った場合「出来ません」という答えが返ってくることになるか、

 知識も無いのにご要望だからと無理をして、後で問題が出てくるかのどちらかになる。

 どちらにしても、あこがれた写真のような家にはならないし、出来ない事が解った時には、アトノマツリ。

 

 だからこそ、十分な打ち合わせとそれに費やす費用が必要と言うのだ。

 打ち合わせの時に質問をすると、「なんでそんな当然の事を聞くのか?」って顔をされる場合もあるが、

 どういう「当たり前」を持っておられるのかってことを確認する必要があるからであり、

 想像以上に、変わった「当たり前」を持っているヒトが珍しくないって事でもあるのデスヨ。

 

豊か
設計屋の業務