建物の法律である基準法は「最低基準」と第一条に書いてある。

 法律が「最低基準」などという話は、建築基準法だけではなく全ての法律に共通のことだから、

 強調するほどのことでも無いはずなのだが、それが謳い文句になるってことは、

 法治される諸氏にその認識がないからだろうか。

 

 全てを大工さんに任せていた昔はともかく、日本は法治国家となることを選び、

 建物も同じく「法治」の範疇に入れることを選んできたのだから、法律があることは当然のこと。

 それは良いのだが、法律ってのは諸刃の剣ということを忘れてはいけない。

 法律で決められる、ということは、それ以外の選択肢を建て主から奪い去る、ということに他ならないのだ。

 

 もちろん、内容の是非はともかく、耐震性能など一般の方々には理解が難しい部分は必須だろうし、

 集団規定と言われる「みんなで守りましょう」という部分も同じく。

 ところが、最近は建て主個人の選択肢たるべき内容、

 つまり「そんなことまでお国に決められたくない!」ってことまで法律になることが増えている。

 

 その理由をいくつか想像するのだが、一つは、法律の裏をかいて悪いことをする業界人の存在。

 もう一つは「誰かのせい」にする風潮ではなかろうか。

 自己責任というのは自分の権利を守ることでもあるはずなのだが、何かあれば最終的にお国のせいにする。

 すると、世論にはとことん弱腰なお国は自分を守る為に越権的な法律を造る。

 その結果、「最低基準」であるべきはずの法律が、「最低」から「過保護」に変わっている気がするのだ。

 価値観は建て主によって千変万化することを忘れてないだろうか。

 

クレーム産業
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