設計屋は、純粋な技術屋ではない。

 もちろん技術屋としての能力は必要なのだが、それしか無いのは設計屋としてはマズイと思うのだ。

 

 性能というものは、極端な話、どこまでも高くすることが出来る。

 博打で言うところの「青天井」ってヤツである。

 次世代省エネレベルの断熱性能や、等級3の耐震性能など、現在の一般的な範囲での最高基準があるが、

 そんなものは、お国がいい加減に、大した根拠もなく決めた基準の中で最高というだけで、

 性能という技術論から言うと、大したレベルではない。

 つまり、もっと高い性能にすることは、大して難しい話ではないのだ。

 

 家を建てる時に、設計屋が純粋な技術屋だったらどうなるか。

 例えば耐震性能で説明すると・・・

  「天井は低い方が耐震性能が高いです」 「部屋は狭い方が・・・」    「窓は無い方が・・・」

  「二階建てより平屋が・・・」     「ロフトは無い方が・・・」   「屋根は・・・」

  「吹き抜けも止めた方が・・・」    「この敷地自体があまり・・・」

 こんな設計屋、イヤでしょう。

 

 もちろん設計屋は、技術屋でもあるから、守りたい性能ってのは誰もが持っている。・・・多分。

 ただ、むやみやたらと性能を上げるのが、良い家造りに繋がるワケではないと思うのだ。

 

 耐震性能は・・・。 断熱性能は・・・。 便利な設備は・・・。 仕上げの材料は・・・。

 風通しは・・・。  収納は・・・。   耐久性は・・・。   部屋の広さは・・・。

 これら全てが、「青天井」。

 コストや敷地の制限があるのが普通だから、果てしない可能性から取捨選択をするワケだが、

 そのバランスの取り方は、つまるところ哲学でしかない。

 つまりは、設計屋は、哲学者でなくてはならないのですヨ。

 

設計料って:1
矛盾