建築家と言われる人種、ともかく言葉がややこしいのは有名な話。
特別に『アーキテクト・タン(Architect Tongue)』という名前まであるぐらいだ。
アーキテクト・タン、つまり、「建築家の舌」は、とかく味が解りにくいらしい。
それもそのはず、建築の歴史は古い。
古代エジプトを起点に、ギリシャからローマを経て、あいだをハショッテ現代まで、
つまりは長い間、芸術・科学・宗教・哲学と相まって、屁理屈をこね続けてきたから仕方がないのである。
とは言うものの、それだけじゃ一般の人々が納得して家を手に入れることが出来るようになる為に、
建築家の舌ってヤツは、なんの役にも立たんのかい?ってなことになる。
建築家にとって「住宅」というのは興味がないものなのか、というとこれが全く正反対。
魚釣りだと「フナに始まりフナに終わる」という言い方をするが、住宅は鮒みたいなものである。
簡単そうに見えて、実はもっとも奥が深い建物。
現代の建築家にとって最大のテーマの一つが住宅である。
にもかかわらず、なぜ一般の人にとって建築家が遠い存在なのか。
それは、会話の場所の無さに原因があるのだと思う。
建築家には一般の人に言葉を届ける場所が無いし、一般の人には、聞く場所がない。
も一つ言うと、理解する為にはそれなりの下準備というものが必要。
料理であろうと、芸術であろうと、衣服であろうと、趣味であろうと、解る為には下準備、
つまり知識や理解力が必要なのは、みな同じこと。
なのだが、それを学ぶ場がないどころか、それを学ばないと解らないということを教わる場所自体がない。
だから、建築家とは何するものぞって問われた時に、
「変わった建物を考える人」とか「お偉い先生」ぐらいのイメージしか無いのである。
そこで!
味の解らない舌に塩などまぶして、多少なりとも美味いものにしようというのが、このコラムの目的。
ご賞味あれ。